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2013.11.05
[イベントレポート]
「事故の後に生まれた若い方々のために映画を撮りました」―アジアの未来『祈りの雨』10/18(金):Q&A

祈りの雨

©2013 TIFF

 
10/18(金) アジアの未来『祈りの雨』:Q&A
 
登壇者:ラヴィ・クマール監督
 
1984年、インド中部ボパール市にあるアメリカ企業ユニオン・カーバイド社の殺虫剤工場から猛毒ガスが漏れ、一晩のうちに1万人もの死者が出る大惨事が起こった。本作は三輪タクシーの運転手の視点を通して、事故のプロセスを描いたサスペンス・ドラマで、マーティン・シーンがアメリカ企業の最高責任者、ミーシャ・バートンが取材記者の役柄で登場する。フクシマの状況下を生きる日本人には、ひしひしと恐怖を感じさせる内容であり、自国の悲劇を見つめ直すためにも一般公開が望まれる作品だ。
 

ラヴィ・クマール監督(以下、クマール監督):お招きいただき、大変うれしく思います。日本とインドは、映画に描かれた歴史を共有できるものと信じています。主役のマーティン・シーンから、「日本に来て、この場に立ちたかったのですが、来日が叶わず申し訳ありません」とのメッセージを預かってきました。
 
石坂PD:監督はボパール近郊の生まれで、いまはロンドンにお住まいだそうですね。インドには何歳までいらしたのですか?
 
クマール監督:23、4歳までいて、医学を学び終えて移住しました。現在は、病院勤務の医師をしています。
 
石坂PD:新部門の〈アジアの未来〉は長編2本目までの監督を対象としたコンペティションですが、監督はこれが初めての長編作です。1本目から大作を任された理由を教えて下さい。
 
クマール監督:最初は小さな企画でしたが、自分なりに明確なビジョンを持っていて、それに賛同してくれる才能豊かな人たちが集まって、大きな企画として実現できたのです。
 
――映画に描かれた毒ガス漏れ事故について調査した本を読んだことがあり、大変ショックを受けました。インドではどこまで真相究明されたのですか?
 
クマール監督:化学が及ぼす健康被害については、インド政府が機関を立ち上げて調査し、医学的な報告書も出ています。ユニオン・カーバイド社とインド政府の間では1989年に示談が成立していますが、被害者が国とカーバイド社を訴えていまも係争中です。
 
――恐らくこの映画の製作期間中に、日本では地震が起きて、福島の原発事故が発生しました。映画の最後に、「カーバイド社の会長は有罪となり、いまはアメリカにいる」と字幕が出ましたが、日本では原発事故が裁判で争われることはありません。監督はそのことをどう思われますか?
 
クマール監督:ボパール化学工場事故の後も、化学産業による事故は起きています。この種の事故は企業倫理の問題もあるし、人的な事故という側面もある。裁判で争われる事柄でもあれば、神の領域なのかもしれません。
マーティン・シーンが演じたアンダーソンは、たまたま名前のあるひとりの人間です。映画で描いたのはユニオン・カーバイドという企業と、当時のインド政府、社会であって、個人に責任や罪を押しつけるのが目的ではありません。
 
石坂PD:実は私も映画を見ている間は、福島のことを考えていました。監督は楽屋で水俣病のことを質問されていましたが、日本人にはその他にも思いだす事例は幾つもあるわけです。
 
――事故の起きた1984年というと僕が生まれる前であり、この事件のことも映画を見て初めて知りました。今後アメリカなど、事故を起こした企業のある国でも上映する機会はあるのでしょうか。
 
クマール監督:ぜひそうしたいと考えています。あなたのように、事件の後に生まれた方々に伝えたいと思って作った映画ですから。
これは反アメリカ的な作品ではありません。多国籍企業や大企業の問題を描いた映画です。アメリカではまだ公開されていませんが、アメリカにとってこれは他国の問題ではありません。上映に向けて慎重に動いているところですが、観て気に入ってくださった方がたくさんいるので、話がまとまればいいと思っています。
 
――社会的な意義も素晴らしいのですが、古典的なパニック映画としても骨格がしっかりしていて素晴らしいと思いました。どれくらいの予算で作られたのですか?
 
クマール監督:映画に緊張感が出ているとしたら、編集のおかげだと思います。編集者の腕がよく、音響との相乗効果で、緊張感をもたらすことに成功したのです。
資金は650万米ドルです。インドの映画としては大きいものですが、事件の規模から考えると、これだけの資金が必要でした。しかし映画自体にお金がかかっているので、人件費にはあまり回っていません。俳優にはわずかな賃金で出てもらっています。そんなこともあって、私は医師として働き続けているんです(笑)
 
――ラストにユニオン・カーバイドの工場が映されますが、あれは、映画のセットですか?
 
クマール監督:ヘリコプターで空中撮影した工場は、元々のユニオン・カーバイドの工場です。撮影した去年でさえ、ガスが漏れている臭いがしていました。幸運にも、当時とまったく同じ構造の薬品工場が協力してくれたのです。ちなみに現在もこの工場は操業しています。
撮影中にマーティン・シーンは、「この工場、100年は経ってるように見える」と言っていましたが、実際には15年しか経っていません(笑)。インドでは太陽と雨が激しく降りつけるので、劣化が早いのです。
 
――ボパール出身でこの事故の被害を受けた者です。気になるのは、この映画がインドで公開されるのか、それはいつなのかということです。
 
クマール監督:この映画には歌も踊りもありません。いわゆる「ボリウッド・フィルム」ではありませんが、インドにもこうした映画を見たいという人が多いので、私も期待しています。
 
――監督が医師になったのは、幼少時代にこの事件を知ったことがきっかけですか。20歳を過ぎて映画を撮りたいと思われたのはなぜですか?
 
クマール監督:仰るとおり、この事件を知り、人々を助け貢献したいという願いを持つようになり、医者になりました。でももともと映画は大好きで、脚本を書いたりしていました。趣味が高じて、「週末フィルムメーカー」として短編を撮っていました(笑)。そのうち、撮った作品がカンヌやベネチアで上映されるようになり、ようやく、みんなが私の真剣さに気づいてくれたのです。
今後、医学に専念するか映画の道に進むのかは、この映画をどれだけ多くの方々が見てくださるかにかかっています(笑)。
祈りの雨

©2013 TIFF

 
石坂PD:ぜひ多くの方々に観てほしい作品です。
 
クマール監督:インドとイギリスにいるスタッフ、ロサンジェルスにいるマーティン・シーンさんを代表して、お礼を言いたいと思います。今日はこんなに知的な質問を投げかけてくれるお客さまに恵まれ、とてもうれしく思います。ありがとうございました。
 
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祈りの雨

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