Home > ニュース > 「もし作品が作られていたら、大成功を収めて世界を変えていたか、大失敗して世界を変えていたかのいずれかです」-10/22(火)ワールド・フォーカス『ホドロフスキーのDUNE』:Q&A
ニュース一覧へ 前のページへ戻る
2013.10.30
[イベントレポート]
「もし作品が作られていたら、大成功を収めて世界を変えていたか、大失敗して世界を変えていたかのいずれかです」-10/22(火)ワールド・フォーカス『ホドロフスキーのDUNE』:Q&A

ホドロフスキーのDUNE

©2013 TIFF

 
10/22(火)ワールド・フォーカス『ホドロフスキーのDUNE』:Q&A
 
登壇者:フランク・パヴィッチ(監督/プロデューサー)
 
カルト的な人気を誇る映画作家アレハンドロ・ホドロフスキーは、1974年、映画化不可能と目されるSF小説『デューン』の製作に取り組むが、撮影前に中止となってしまう。本作はその過程を追った貴重なドキュメントで、当時作られた大判画集のような絵コンテ入り台本が繙かれ、本人と、映画化に関わっていたSF画家のクリス・フォス、H・R・ギーガーらの証言を交えつつ、なぜ挫折に至ったのかが回顧される。
ニューヨーク出身のフランク・パヴィッチ監督は36歳。アングラの音楽シーンを描いたドキュメンタリー『N.Y.H.C』(日本未公開)を監督して以来、映画やTVの製作畑で働き、実に14年ぶりの監督作として本編を撮りあげた。伝説的な「作品」の内幕を知ろうと、客席には映画業界の関係者も多く駆けつけた。
 

矢田部PD:パヴィッチ監督、ようこそ東京へいらっしゃいました。カンヌ映画祭で最初に拝見しましたが、カンヌで観た作品ではこれが一番すばらしいと思いました。まず、ホドロフスキー監督との出会い、この映画を作ることになったきっかけを教えてください。
 
フランク・パヴィッチ監督(以下、パヴィッチ監督):答えは簡単です。あの『エル・トポ』(1970)、『ホーリー・マウンテン』(1973)を撮ったホドロフスキー監督が『デューン』を撮るはずだった。しかも、サルヴァトール・ダリやオーソン・ウェルズ、ミック・ジャガーといった錚々たるキャストが出演し、音楽はピンク・フロイドが手がける予定でいた。この話を聞いて、観たくない人はいないと思います(笑)。しかも、幻に終わっていることで、なおさら魅力を感じたのです。
 
――合計何時間くらい撮影したのですか? 泣く泣くカットせざるを得なかった場面や、面白かったエピソードがあれば教えてください。
 
パヴィッチ監督:フィルムやテープで撮影されていた時代は簡単に答えられた質問ですね。撮ったフィルムの巻数やテープの本数を数えれば一目瞭然ですから。でも今はすべてデジタルの時代なので、ギガバイト、テラバイトでしか分かりません。総時間数は私にも答えられないのですが、たくさんであることは間違いありません。
カットしたシーンはたくさんあります。1つ印象的なエピソードは、ホドロフスキー監督とスタント・コーディネーターが語り、さらにいまは亡き漫画家メビウスもその著書で語っているものです。クリス・フォスはいつもホドロフスキーをからかって、気に障るようなことを言うのがうまかった。「グルよ」「魔術師よ」と嫌味っぽく言うのです。ある日、ホドロフスキー監督が頭にきて、「明日、スタント・コーディネーターを呼んで、お前を切り刻んでやる。バラバラになった体を俺が元に戻してやれば、本物の“魔術師”だと分かるだろう」と言いました。
翌日、フォスは仕事場に来て絵を描いていました。12時、13時、14時までは大丈夫だろうと安心していたけれど、そこから先は15分ごとに不安が高まっていき、それが頂点に達した15時に、スタント・コーディネーターとホドロフスキー監督が現れました。
ハイエナのような笑みを浮かべた監督は、フォスに「こいつが相手だ」と囁いた。フォスは水差しを手にとって――ホドロフスキー監督は金属の重い灰皿、スタント・コーディネーターはコーヒーカップ、と記憶はそれぞれ違うけれど――スタント・コーディネーターの顔をめがけて投げつけた。でも、スタント・コーディネーターは首を捻ってさっと避けてしまった。フォスはもう一巻の終わりだと思っていたら、スタント・コーディネーターが近づいてきて、フランス語で何かを言った。フォスはフランス語を理解できないのですが、こう言われたと感じたそうです。「アンタはマーシャル・アーツ(武術)をよく分かっているね」と(笑)
ホドロフスキーのDUNE

©2013 TIFF

 
――ドキュメンタリーを映画という表現手段で伝える意味は何だと思いますか? この“DUNE”の企画を伝えるにはテレビのほうがより多くの人の目に触れると思いますが、なぜ映画という手段を選んだのでしょうか。
 
パヴィッチ監督:私はホドロフスキー監督を映画監督として大変尊敬しており、だからこそ今回の作品も映画として発表したいと思いました。彼の全作品を集めたDVDセットを持っていますが、一度もプレーヤーに入れたことはありません。テレビの画面で観るのは失礼だと思うからです。映画は映画館の大きなスクリーンで見ず知らずの方々と空間を共有して笑ったり泣いたりしながら観るものですし、私自身もそうやって観るのが大好きです。
また、テレビ・ドキュメンタリーだとかえって制限されてしまう気もします。例えばアメリカの放送局で作ればアメリカ国内でしか放映されないかもしれません。でも映画にすれば、カンヌでプレミア上映され、ロサンゼルス、ロンドン、スペインを経て、東京国際映画祭で上映されている。また劇場公開され、DVDになり、テレビでも放映されるかもしれない。結果的に、より多くの皆さんに観ていただけることになると思います。
 
――今回の映画で、『サンタ・サングレ 聖なる血』(1989)についてまったく触れていないのは時系列にうまくはまらなかったからでしょうか?
 
パヴィッチ監督:単に時系列にはまらなかったからです。『サンタ・サングレ 聖なる血』はずいぶん後になってからの作品です。“DUNE”の前に3本作り、“DUNE”は実現せず、その後にまた1本撮って、しばらくずっと撮らず、また撮り始めて……ということを全部入れるとややこしくなってしまうので割愛しました。
 
――本編中に出てくるホドロフスキー監督の分厚い本の中身を、実際にご覧になりましたか?
 
パヴィッチ監督:もちろん見ました。すばらしかったです。ホドロフスキー監督に最初にメールで連絡を取ったところ、「いまパリにいるから、会いたいならおいで」と言われました。パリで初めてお会いしたときに、監督と私の間に大判の例の本が置かれていました。ただ、見てもいいよと言ってくれない。私は死ぬほど見たいのを知っていて、からかわれているのだと思いました。撮影が始まってから、脚本も、ストーリーボードも見せてもらいました。メビウスが描いたオリジナルの鉛筆画も見ました。
 
――監督ご自身は“DUNE”を撮りたいと思ったことはありますか?
 
パヴィッチ監督:私なりの“DUNE”を今回作ったつもりです。いろんな方が作ろうとして断念しましたが、“DUNE”の映画化はほぼ不可能だと思います。私は自分のバージョンに満足しています。
 
――もしホドロフスキー監督が“DUNE”を作っていたら、どうなっていたと思いますか?
 
パヴィッチ監督:可能性は2つです。大成功を収めて世界を変えていたか、大失敗して世界を変えていたかです。もし大成功していたら、前衛的な作家映画がもっと一般的なジャンルとして認知され、多くの人が観るようになっていたかもしれない。もし大失敗していたら、SF映画というジャンルはなくなっていたかもしれません。1975年当時、“DUNE”の製作費は1500万ドルと見積もられていました。『スター・ウォーズ』(1977)でさえ700万ドルの時代です。FOXは製作前『スター・ウォーズ』の成否を訝っていましたので、もし“DUNE”が巨額の予算をかけて映画化され、大失敗していたら、FOXは『スター・ウォーズ』の製作を中止していたはずです。「スター・ウォーズ」シリーズはもちろん、その後のSF映画も作られなかったでしょう。『バットマン』のようなスーパー・ヒーローものもなく、夏の大作は18世紀のイギリスの恋愛映画ばかりになっていたかもしれません(笑)
 
――メビウスの描画のアニメーション化には、ホドロフスキー監督も関わっていたのでしょうか?
 
パヴィッチ監督:本作のなかでもホドロフスキー監督は、「この映画は私の夢だ」「誰にも触らせない」とさかんに言っていますが、今回のドキュメンタリーにはどの程度口を挟むのかなと正直不安でした。いろいろと注文をつけられるのではないか、と。ところが、始まってみると、彼は一言も口を挟まず、私の好きなように作らせてもらえました。
彼が初めて本作を観たのは、カンヌ映画祭のプレミア上映でした。私の隣に奥様がいて、その隣が監督でした。上映中、気になってちらちら見ていたら、ホドロフスキーは最後のほうで涙をふいておられました。おそらく、自分のアートワークが映像化されたことに感動なさったか、何十年も会っていないクリス・フォスやH・R・ギーガーが自分のことを高く評価するコメントを言っているのを見て、感動なさったのかもしれません。終映後に感想を聞くと、「パーフェクト!(完璧だ!)」と言ってくださいました。
 
ワールド・フォーカス
ホドロフスキーのDUNE

KEIRIN.JP本映画祭は、競輪の補助を受けて開催します。TIFF History
第25回 東京国際映画祭(2012年度)