Home > ニュース > 「過去を見定めることで我々がこれから何を目指すべきか、ディスカッションを行うことができる」―コンペティション部門『ある理髪師の物語』:公式インタビュー
ニュース一覧へ 前のページへ戻る
2013.10.29
[インタビュー]
「過去を見定めることで我々がこれから何を目指すべきか、ディスカッションを行うことができる」―コンペティション部門『ある理髪師の物語』:公式インタビュー

ある理髪師の物語

©2013 TIFF

 
公式インタビュー コンペティション『ある理髪師の物語
 
――ジュン・ロブレス・ラナ(監督/エグゼクティブ・プロデューサー/脚本)、ペルシ・インタラン(エグゼクティブ・プロデューサー)、ユージン・ドミンゴ(女優)
 
マルコスの独裁政権下にあった70年代のフィリピンのとある田舎の村。理髪店を営む夫を助けて、日々懸命に働くマリルーに、次々と事件が起こる。コンペティション部門の『ある理髪師の物語』で来日した監督のジュン・ロブレス・ラナさん、主演のユージン・ドミンゴさん、エグゼクティブ・プロデューサーのペルシ・インタランさんに話を聞きました。
 

――この作品に関わるようになった経緯を教えて下さい。
 
ジュン・ロブレス・ラナ監督(以下、ラナ監督):1997年に脚本コンテストで入賞して以来、ずっと関わってきています。元々教会のプロジェクトだったので、製作を名乗り出るプロデューサーはそれほどいませんでした。昨年の香港国際映画祭「香港アジア・フィルム・ファイナンス・フォーラム」で幾つかの賞を受けて、プロデューサーや投資家たちに認識されたことで話は進み、驚くべきことに15年間待った末たった3カ月から6カ月で投資を得ることができて、最終的にはマリルー役のユージンの出演の承諾を得られて、6カ月で完成したことは僕にとっては驚くべきことです。
ある理髪師の物語

©2013 TIFF

 
ユージン・ドミンゴ:今まで出演していたコメディ映画とは別のことがしたかったのです。私たちは長い間、ジュン・ロブレス・ラナと仕事をしたかったから、これは完璧に良い機会でした。
ある理髪師の物語

©2013 TIFF

 
ペルシ・インタラン:ジュンとは『ブワカウ』で一緒に仕事をしました。ですがずっとその前から本作の脚本のことは聞いていました。しかし、僕がプロデューサーとして決まるまでは脚本を読ませてはもらえませんでした。ユージンと同じように、1回読んだだけで内容が詰まっていることがわかりました。物語の流れは美しいし、驚きもあった。その時、このプロジェクトがどれほど特別のもので、長い年月ジュンが情熱を持ち続けてきたのだなと悟ったのです。
ある理髪師の物語

©2013 TIFF

 

――一番難しかったことは?
 
ラナ監督:様々な要素が進行を困難にしていましたね。人里からとても離れた町で撮影したので、そこに辿り着くには川を2本渡る必要があり、そこで連続15日間、電気もない廃校に滞在しました。これまでにも困難な撮影を経験してきたけれど、今回ほど物理的に難しい撮影はありませんでした。
 
ユージン・ドミンゴ:実際に難しかったのは初めの2、3日。それが過ぎて5日ほどすると、そこにある物、自然な物で満ち足りるようになりました。自分の祖国の美しい場所を知ることもできたし。ただ残念なのは、あのロケ地は近いうちにダムになってしまうんです。あの村が水底に沈んでしまう前にジュンが本作を撮影してくれたことは、私たちにとっても本当に幸運だった。このような文明からかけ離れた場所で暮らす人々は、我々フィリピン人が本物の宝だと思える物に強い誇りを持っているんだな、ということも知りました。演技的にも最初のうちは難しかったけれど、終わりの方ではマリルーのようにすべてを手放すことができると思えました。フィリピン人の女性は、すべてを失っても生き抜くことができる、女友だちさえいれば大丈夫、そう思いました。
 

――マリルー以外も、そうした女性たちの描き方がイキイキとしていますね。
 
ラナ監督:それはもしかすると、僕が母子家庭で育ったからかもしれない。僕は母を尊敬しているし、母に尽くしてきた。僕の映画には強い女性が登場します。男性が主人公の時でも、力強い助演女優を使いますから。
 

――芯は強いのに、マリルーはいろんな場面で花を飾ったり、人に贈るのも印象的でした。
 
ラナ監督:花は女性を象徴するものです。そういうマリルーの人間的な面を表現するため、そういった工夫をたくさん施しました。その工夫に気づいていただき、ありがとうございます。
 

――マリルーが神父からもらって大きな影響を受けるオレンジ色の本も気になります。
 
ラナ監督:あの小説のタイトルは「ノリ・メ・タンヘレ」、2部作のうちの第1部で、作者は国民的英雄ホセ・リサールです。フィリピン人がスペイン植民地時代にいかに迫害されていたかを描いたこの小説を、映画の核として脚本に使いました。外国から帰ってきた主人公が、父親が殺されたという事実を知り、犯人を捜そうとする。でも僕はこの主人公の男だけでなく、他の人物もとても魅力的だと思ったのです。だからこの小説の構成を『ある理髪師の物語』に使った。インスピレーションの基ですね。
 

――近年は、例えばブリランテ・メンドーサ監督のように国際的にも高く評価されている映像作家がいたり、フィリピン映画が面白くなってきたと感じますが。
 
ペルシ・インタラン:そうですね。特に過去数年、我々はお互いの成功の恩恵を授かってきました。メンドーサの映画は世界中で知られ、ラヴ・ディアスや他の監督たちが大小、新旧の様々な映画祭に参加するようになって、自分たちの仕事に自信が持てるようになったのです。海外でも祖国の文化が知られ、互いに得られることもある。もちろんある程度の競争心も存在しますが、それはむしろ良いことですね。なぜならプロデューサーや監督たちがより高いレベルを目指すようになったから。我々は皆、同じくらいの予算で映画を作り、各々配給問題や資金集めの問題を抱えていたりもするけれど、それでも他のチームがそれでやっていけるのなら、自分たちもできるという確信が持てますから。
 
ラナ監督:我々にとって、この映画を東京国際映画祭でワールドプレミア上映できるのはとても光栄なことです。本作の海外セールス担当からは、「なぜ東京の映画祭で見せたいのか?」と聞かれますが、それには「フィリピンだけじゃなくアジアの映画製作者にとって東京で認められることは大切なんだ」と伝えましよ。
 

――そう言えば、ベニグノ・アキノ氏が暗殺された事件は日本でも大きく報じられましたが、あれはこの物語の背景と同じくらいの時代ですか?
 
ラナ監督:アキノ氏暗殺は83年で、本作の背景は75年くらいですが、確かあれも非常事態宣言の影響でしたね。なので我々は、アキノ氏の暗殺の前の70年代にさかのぼり、非常事態宣言が起こる発端となった頃を、時代設定にする必要があったのです。過去を見定めることで、我々がこれから何を目指すべきかディスカッションを行うことができますので。僕は権力に挑戦する物語が好きなんです。僕の初めての脚本は、小さな町で初めて助産師になる少年の話でした。少年が女性の出産を手伝うという不自然さが僕にとっては興味深いことでしたからね。
 

――そう言えばユージンさんの髪は、映画の中でも今も艶があってきれいですが。どういうお手入れを?
 
ユージン・ドミンゴ:良い質問ですね(笑)。私は理髪店に行っています。ビューティー・サロンじゃなくてね。
 

取材/構成:佐藤友紀(日本映画ペンクラブ)
 
コンペティション
ある理髪師の物語

KEIRIN.JP本映画祭は、競輪の補助を受けて開催します。TIFF History
第25回 東京国際映画祭(2012年度)