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2013.10.29
[イベントレポート]
「”何をやってもいいけどアーティストだけにはなるな”と言われた」-10/22(火)コンペティション『ハッピー・イヤーズ』:Q&A

ハッピー・イヤーズ

©2013 TIFF

 
10/22(火)コンペティション『ハッピー・イヤーズ』上映後、ダニエレ・ルケッティ監督をお迎えし、Q&Aが行われました。
 
矢田部PD:ルケッティ監督、お迎えできて光栄です。コンペティションに参加していただけて本当に嬉しく思っています。会場のみなさまに一言ごあいさつをいただけますか。
 
ルケッティ監督:ここまで映画を観に来てくだり、ありがとうございます。終電がもうすぐだと聞いておりますので、席をお立ちになる方がいらっしゃったとしても気を悪くしたりなどしないので。むしろ私も終電に乗らなければいけないので、注意してください(笑)。
(※この回のQ&Aは22:56からスタートしました。)
 
矢田部PD:東京国際映画祭で上映させていただいた『マイ・ブラザー』、またイタリア映画祭で上映された非常に素晴らしい作品に続き、「家族」の物語でした。三作目の「家族」の物語としてご自身の物語を映画化されましたが、これは前の二作があったために今度はご自身の物語を描こうと思われたのか、いつかは描こうとずっと考えてらっしゃったのか、教えていただけますか?
 
ルケッティ監督:『マイ・ブラザー』をやったとき、イスラエルのヨシュアという作家が好意的に観てくれて、イタリア人にとって「家族」とは鍵であると言ってくれました。もっと現代の家族の姿を描くために『我らの生活』という映画を撮りました。そして撮っているうちにもっと自分の家族の話を撮りたいという気持ちになりました。自分にとっての核になっている家族について描きたいという気持ちが湧いてきたのです。
 
Q:父親の名前がグイドというのは、実際に監督のお父様の名前がグイドなのか、フェリー二の映画のグイドを意識なさったのかお聞かせください。もうひとつ、フィルムからデジタルに変わったことについてのルケッティ監督のご意見を聞かせていただけないでしょうか。
 
ルケッティ監督:直接的にフェリー二のオマージュにしたつもりはありませんし、私の父親の名前がルカだったので同じような短い名前にしたいというところがありましたが、意識せずオマージュになっていた可能性はあるかもしれません。よく注意して鑑賞してくださり、ありがとうございます。
現像所がなくなってしまい、フィルム自体が手に入らなくなっているということもあり、これは私がフィルムで撮る最後の作品になると思います。デジタルが悪いわけではありませんが、フィルムで撮るということには一世紀の歴史があるわけで、その一世紀のあいだに進歩を重ねてきたという過程が失われてしまうということは非常に残念だと思います。スーパーエイト(8ミリフィルム)で撮った部分があるのですが、数ユーロで買えるようなフィルムをこの大きなスクリーンで上映できることは本当に素晴らしいと思うので、その意味でも非常に残念です。
 
Q:お父様が自分の芸術活動に対して本当に自信をもっていたのか、それとも強がっていたのか、お父様の芸術に対するスタンスとはどういうものであったのでしょうか?
 
ルケッティ監督:このアーティストは格好をつけて、アーティストのふりをしたいというタイプでした。当時は呪われたアーティストといって、自己破壊的な芸術家がもてはやされたのですが、彼自身は未熟であったにも関わらず、そういう他のアーティストのようになりたかったのです。
実際には、彼はプチブル(中産階級)の家庭に育って、彼自身はそういうタイプのアーティストではなかった。ただ、非常に苦しむことによって自分の道を見つけて、自分があるタイプのアーティストにならなくてはいけなかったということではなくて、実際になることができた。その直感を追うことによって、自分自身が思いがけず本当のアーティストになったという過程になっています。
 
矢田部PD:自伝的な映画ということで、どこまで自伝で、どこまでフィクションかを聞くのは野暮かもしれないのですが、必ずしもお父様が前衛芸術家だったということではないですよね。
 
ルケッティ監督:それに答える事は決して恥ずかしいことではないのですけれども、実際に自分の父親というのはこの主人公に割と近いタイプだったのです。でももっと繊細で、家族に対するリスペクトというものをきちんと持った人でした。この人物像を作り上げるために、少し無理をしなくてはならないところがありましたが、ただこの映画でひどい父親像を描くというのではなくて、父は今の自分の歳、53歳で亡くなったので、ネガティブな父親像を描くというよりは、彼が何かを見つけたという形にしたかったので、そういう意味でもこの映画があります。
 
Q:子役の演技についてですが、もともとセリフをきっちり決めて、その通りに演技をしてもらったのでしょうか?それとも、ある程度自由に話させて自然なリアクションをたくさん拾われたのでしょうか?
 
ルケッティ監督:子供を使って映画を撮る際に、非常に大事なことは正しい選び方をすることだと思うのです。彼らが演じるキャラと彼ら自身のキャラクターと、性格、人物像が似ているという事が必要だと思います。バックグラウンド、ストーリーが彼ら自身の持っているものと似通っている事が必要であって、そういう場合には、若い役者はセリフをすぐに理解できますし、さらに即興の部分で加えていくことができて、非常に豊かなものを映画に与えてくれる。この映画に関して言いますと、60%は書かれたセリフでした。40%がほぼ即興で出てきたもので、弟役の方については、色々なことをこの映画で加えてくれました。例えば、セットの外、つまり撮影していない時に、他のシーンを撮影している時に、子供達がやっていることを見て、それをこうやってくれと。例えば、ベッドの上に乗ってゾンビの真似をするシーンがありますが、それを撮影の合間にやっているのを見て、今やっていたことをもう一度やってくれと言ったこともあります。
 
Q:最初、子供たちが父親から芸術的センスを教え込まれているシーンがありました。カメラを贈られたのは実話でしょうか?ご自身のクリエーターとしてセンスにお父様からの影響はありましたか?
 
ルケッティ監督:もちろん親からの影響はありました。父親は彫刻家でしたし。家族には、暗い部屋に連れて行かれて「何をやってもいいけどアーティストだけにはなるな」と言われたことがありましたが(笑)、結局アーティスティックな仕事をすることになりました。矛盾しているのですが、彼らはアーティストになるなと言いながら、よく映画に連れて行ってくれたり、実際にカメラをプレゼントしてくれたり、自分が何か撮ると喜んだり、アーティスティックな仕事をすると喜んでいたのです。映画を撮り始めてからも、映画を撮るたびに喜んではくれたのだけど、「わかっただろう。もういいだろう。もうちょっと真面目な仕事をしろ」と、その都度言われました。
ハッピー・イヤーズ

©2013 TIFF

 
矢田部PD:この映画でとても感動的だったのは、最後、奥さんに彫刻を見せて「これは君の不在だよ」と言うセリフなのですが。あのフレーズは、脚本を書いている間に浮かんだのか、あそこがクライマックスになると思われて書かれたのか、あのラインについて少しお話いただけますでしょうか。
 
ルケッティ監督:あのセリフはもちろん脚本を書いているときに、作品を表現する言葉、コンセプトを探していたときに思い浮かんだもので、もちろん奥さんを現しているのですが、ダイレクトに現すのではなく、奥さんが不在だということを現したいと思いました。
 
矢田部PD:最後に一言、メッセージをいただけますか?
 
ルケッティ監督:愛している場所に来ることができてとても嬉しく、また、皆さんがとても注意深く鑑賞してくださって、とても感謝しています。
 
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ハッピー・イヤーズ

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