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2013.10.28
[イベントレポート]
「映画自体のため、文化のために撮っているのです」-10/21(月)ワールド・フォーカス『北(ノルテ)―歴史の終わり』:Q&A

北(ノルテ)―歴史の終わり

©2013 TIFF

 
ワールド・フォーカス『北(ノルテ)―歴史の終わり』:10/21(月)Q&A
 
殺人をした男が逃亡し、別の男が間違って投獄された。逃亡した男は罪の意識で正気を失い、獄中の男は精神の自由を獲得していく…。
ドストエフスキーの小説『罪と罰』をもとに、フィリピンの怪物的作家が描いた驚愕の250分。日本での長編の上映は今回が初めて(短編『蝶は記憶を持たない』がTIFF09で上映されたのみ)。Q&Aでは、作品のテーマに関する鋭い質問が飛び、ユーモアを交えながらも的確に答えていく監督の言葉に、観客は熱心に耳を傾けていた(山形国際ドキュメンタリー映画祭共催上映作品)。
 
登壇者:ラヴ・ディアス(監督)
 

石坂PD:ラヴ・ディアス監督は長旅の途中であり、山形国際ドキュメンタリー映画祭で審査員を努め、そのあと、韓国のDMZ国際ドキュメンタリー映画祭にお立ち寄りになり、今日は東京でこのセッションに参加し、明日サンパウロへお発ちになります。お忙しいなか参加してくれた監督に、ご挨拶の言葉を頂戴したいと思います。
 
ラヴ・ディアス監督(以下、ディアス監督):このように映画を説明しなければいけないというのが、映画作りのなかで私の最も苦手とするところです。みんなでコーヒーでも飲んだ方がいいんじゃないですか? まあでも、始めましょう(笑)
 
———石坂PD:まず、映画のタイトルについてお聞きします。「ノルテ」はスペイン語で「北」という意味で、「歴史の終わり」はフランシス・フクヤマの同名の本があります。タイトルに込めた意味を教えてください。
 
ディアス監督:これから話すことはすべて作り手である私の解釈であり、皆さんは映画を自由に解釈して結構です。まずは、そのことを申し上げたいと思います。
タイトルの「北」はフィリピンの北部を意味しますが、そこはフィリピンの歴史においてファシズムが生まれたところ、歴史上最も巨大な怪物だったマルコスの生まれたところです。そして、この映画の登場人物ファビアンは、『罪と罰』のラスコーリニコフと、このマルコスを掛け合わせて生まれた人物です。
「歴史の終わり」には、歴史修正主義、ねじ曲げられたイデオロギー、歴史そのものを込めています。ファシズムというのは、ねじ曲げられたイデオロギーの一種と考えています。
 
石坂PD:監督の作品はどれも長いのが特徴ですが、長さについては、どうお考えなのでしょう。
 
ディアス監督:作品はすべて私が自由に、好きな長さで撮っています。マーケット(市場)のやり方には従ってはいません。私が映画を撮るのは、マーケットのためではありません。映画自体のため、文化のために撮っているのです。
 
――素晴らしい作品で感動しました。ファビアンとホアキンの両極的、かつ大陸的な生き方を捉えることで、マルコスの独裁政治が終わる時代を表したと理解しました。ファビアンがマルコスの化身であり、独裁政治の象徴だとすると、ホアキンの生き方はどう考えたらいいのでしょうか。
 
ディアス監督:皆さんの解釈とは違うかもしれませんが、単純な見方をすれば、ファビアンとホアキンを世にはびこる悪と善と見ることもできます。ホアキンは、これだけひどい状況にもかかわらず、自分のなかの善なるものを追求することができる人物として描いています。
 
――ホアキンの奥さんが、「外国への出稼ぎを許していたら、今と違った状況になっていたかもしれない」と語った相手は妹でしょうか?
 
ディアス監督:話していた相手は義理の妹ではなく、年老いた女性です。あの場面には深い意味を込めています。フィリピンでは現在、900~1100万人が国外へ出稼ぎに行っています。そのため、父母に育てられることなく生育し、深刻な心の問題を抱えている人が多いのです。そこを伝えたいと思いました。
 
———石坂PD:海外労働の話が出ましたが、監督にも、国を離れて働いていた経験がおありだということですが。
 
ディアス監督:とても貧乏な家庭でしたので、ニューヨークで5年間働いていました。昼間は新聞社に勤め、夜はウェイターをしたり、ガソリン・スタンドで働いたりして、なんとか映画製作にこぎつけたという歴史を持っています。
北(ノルテ)―歴史の終わり

©2013 TIFF

 
――ところどころ空想的な映像が入り、ホアキンが宙に浮いたような状態で終わるのにはどんな意図があるのですか?
 
ディアス監督:どんな意図かはわかりません(笑)。解釈はご自由になさってください。映画にはミステリーも詩的な場面も必要です。だから、あんな夢のようなシーンを撮ったのですが、それが現実と解釈することもできると思います。歴史上、聖人だけしか、水の上に浮いたりすることは出来ないからです。
 
――この映画のストーリーは、ドストエフスキーの『罪と罰』に忠実に沿っていますが、終わり方が違います。『罪と罰』では主人公が自首して償いますが、映画では自首することなく罪を重ねてしまいます。ファシズムの残酷さを表現しているのかと解釈したのですが、監督はどう考えているのか教えてください。
 
ディアス監督:その通りです。ファシズムというのは、間違った考え方を他人に押しつけることですが、それを表したかったんです。ファビアンは、姉をレイプしたり、世の中で唯一愛してる犬を殺したりすることで、自分の考えをどこまでも忠実に遂行する、その様を表したかったんです。
 
――監督はニューヨークを拠点に活動されているそうですが、監督の映画を見たいと思ったら、どの国のメディアを追えばいいのでしょうか?
 
ディアス監督:映画作りという点で拠点としているのはフィリピンのマニラですが、家族がニューヨークに住んでいますので、家族に会いにときどきニューヨークに帰ります。
ただし、マニラでは私の映画は上映されません。大学のキャンパスで上映される程度です。他の作品が見たいのなら、Eメールをください。
 
――「北」というと、最近、日本を含む近隣アジア諸国の中に歴史の書き換えを行う動きがあって、植民地支配はなかったとか、虐殺はなかったという意見が出始めています。そのうち、戦争はなかったと言いだす人がいるかもしれません。
一方、「南」では、1965年の軍事クーデターでインドネシア人が大量虐殺されましたが、当時、殺人部隊に在籍して1000人以上の市民を殺したと話す人物のドキュメンタリーが話題となり、山形国際ドキュメンタリー映画際で上映されました(ジョシュア・オッペンハイマー監督『殺人という行為』・2012)。
国家の右傾化がエスカレートし、殺人を正当化する人物が話題となるような世の中において、監督はファシズムについて、どんなメッセージを込めたのでしょうか。

 
ディアス監督:いま仰っていただいたことが、そのまま映画の中心的なメッセージとなっています。歴史修正主義はあちこちで起きています。歴史を書き換えることは、本当に危険なことです。
 
ワールド・フォーカス
北(ノルテ)―歴史の終わり

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