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2013.10.23
[イベントレポート]
「私たちはそのアングルを「オズ(小津)」と呼んでいました」―10/21・22(月・火)コンペティション『馬々と人間たち』:Q&A

10/21・22(月・火)コンペティション『馬々と人間たち』の上映後、ゲストにベネディクト・エルリングソン監督、フリズリク・ソール・フリズリクソンプロデューサーをお迎えし、Q&Aが行われました。
 
馬々と人間たち

©2013 TIFF

 
矢田部PD:会場の皆さんにご挨拶のお言葉を頂戴できますでしょうか。
 
ベネディクト・エルリングソン監督(以下、監督):本当に光栄に思っております。素晴らしいフェスティバルのコンペティションの部門に選んでいただいて本当にありがとうございます。
 
矢田部PD:初監督作品ですが、この作品の発想はそもそもどこから来たのでしょうか?
 
監督:私の監督デビュー作でありますし、映画祭に公式に選ばれたのも初めてですので感謝したいと思います。アイデアがどこから来たかということですが、動物の中から見た人間、人間の中の動物の部分を描きたいなと思いました。
人間を動物に例える時というのは冷酷さだったり、残虐性だったりネガティブなことを表す場合が多いと思うのですが、でも動物というのは愛すべきものでもあるわけで、人間の中の動物にはいい面もあるのではないかと思いました。楽しい映画、見ていい気持ちになる映画を作ったつもりです。もちろん、後味はありますけれども。
 
Q:役者さん以上に馬たちの演技が素晴らしく、印象深いシーンがたくさんありました。例えばいきなり交尾してしまうシーンや、ウォッカまがいを買いに行くときに海に入って泳いでいってしまうの馬たちのシーンはどのようにして撮ったのでしょうか?
 
監督:ありがとうございます。まず言いたいのは、クレジット上に出てくる「ここに出てくる動物たちは全く傷つけられていません」というのは本当だということです。ウエスタン映画が盛んな頃に、たくさんの馬が殺されたハリウッドではありませんので。ハリウッドも今は違うかもしれませんが、この映画に限っては違います。私たちはみんな馬が好きでしたし、馬がどういう行動をするのかというのも大体わかっているので。残虐にみえるシーンも「ムーヴィー・マジック」、つまり映画の魔法です。私も撮影監督も馬が大好きな「ホースマン」なので、こういう映画が撮れたのですがほとんどは本当に幸運でした。大抵のテイクはワンテイクしか撮れず、チャンスも一度しかなかったんです。交尾のシーンや海の中を泳いでいくシーンもあの瞬間しかチャンスがなかったのです。天候にも助けられ、何か精霊のようなものが助けてくれたのかもしれませんね。90%が実写で、デジタル・エフェクトを使っているのは1・2シーンくらいしかありません。
 
Q:スウェーデン語を話す女性が出てきましたが、なぜあの女性がスウェーデン語を話す設定にされたのでしょうか?また、何度かタバコの葉のようなものを鼻の下に付けているシーンが出てきましたが、あのシーンは何をしているのか教えていただけると嬉しいです。
 
監督:アイスランドには馬と働きたくてやって来る北欧の人やドイツ人がたくさんいます。そういう人たちは馬と話ができる人達でして、ヨーロッパでは馬を飼って世話をすることは本当のお金持ちや貴族の人しかできないことなんですが、アイスランドでは馬を飼うというのはすごく当たり前のことなんです。彼らはアイスランドで馬を飼うために、つまらないアイスランドの農民の人と結婚したりいろんな手段を使って馬を飼う努力しているんです。彼らこそ本当のヒーローだと思っていますし、この映画は彼らに捧げています。
鼻に入れているのはタバコなのですけれども、お金がない人にとってのコカインみたいなものです。昔からある習慣で、スウェーデンの人たちは噛みタバコにしたりもするのですけれども、アイスランドでは嗅ぎタバコとして鼻に入れるてリラックスするんです。
 
DX2_8747S

©2013 TIFF

 
Q:なぜあの雌馬を殺してしまったのでしょうか?
 
監督:確かに雌馬が死んでしまうのは悲しい事なんですけれども、国によっては自分の名誉が傷つけられたということで自分の娘を殺す事もありますよね。今回は雌馬によって自分が裏切られたので、殺さざるを得なかった。あの馬に乗っているところを他の人に見られてはいけないわけなんですね。
 
Q:屈辱的だったということですか?
 
監督:そうですね。雌馬がレイプされたのではなく、彼自身がレイプされたということなので、その復讐として殺さなければいけなかったのです。でも、観客の皆さんがすごく悲しい思いをしたなら、ごめんなさい。私は間違ったかも知れませんね。
 
フリズリク・ソール・フリズリクソンプロデューサ(以下、プロデューサー):じゃあ、将来的には皆さんから「殺したほうがいいですか」「殺さないほうがいいですか」という投票をしてもらいましょうか(笑)。
 
Q:馬のお腹を切り裂いて、腸(はらわた)を出してその中に頭を突っ込んむシーンの意味はなんですか?気になってノイローゼになりそうです。
 
監督:なんだかすごく悪い映画を作っちゃったみたいですね。(会場爆笑)
これはアイスランドに昔から伝わるもので、あのような非常に厳しい天気の中で自分を守るためにとられてきた方法です。ハリウッドでもやっていますよね。『スターウォーズ』でジョージ・ルーカスも似たようなことをやっていると思います。馬に限らず、牛を殺したりして、その中で暖をとるという話は本当にある話です。私の友人のお祖父さんが1954年にそのように生き延びていたのですが、彼が生き延びたために私の友達が存在したというわけですね。
 
矢田部PD:監督は…いつか入ってみたいなあって思っていらっしゃったのですか?(会場笑)
 
監督:やりたいと思ったことはありませんが、生まれ変わるという意味ではいいやり方ではないでしょうか。馬が自分の命を差し出して、馬が母親になったように人間である私が新しく生まれる。そう考えるといいアイデアだとは思います。
 
Q:男性2人が亡くなったお葬式のシーンで、神父の「この谷間に住む者にとって大変な損失である」という言葉がひとつの皮肉にも聞こえるように繰り返されていましたが、監督が『死』を描くにあたって何か気をつけていた事はありましたか?
 
監督:確かに死ぬということを考えると皮肉さがあるかもしれませんが、特に意識はしていませんでした。馬も死ぬし、人も死ぬし、コミュニティも死んでゆきます。クレイジーかもしれないけれどもそれをある種笑うこともできるわけです。というのは、死というのは人生の唯一の事実であるからです。
 
10/22 Q&A
 
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©2013 TIFF

 
矢田部PD:フリズリクソンさんは自身も監督として永瀬正敏さんを主演にした『Cold Fever』といった作品を手がけられているので、見ている方には「あの人か」と思われている人もいると思います。では、一言お願いします。
 
プロデューサー:日本にまた来ることができとても嬉しいです。日本の観客の方はとてもオープンマインドな感じがしてとても好きなのですが、その点は(母国の)アイスランドの人々とよく似ているような気がします。これは日本もアイスランドも魚をたくさん食べるからでしょうか?
 
Q:どのように馬に演技をさせていたのですか?
 
監督:馬を演出することは実に簡単なことです。馬の注目を引くときは馬を使えばよいのです。例えばカメラを回している時に、カメラの後ろに友達の馬や敵だと思っている別の馬などそれぞれ違う馬をシーンごとに配置しておけばよかったのです。交尾のシーンは演出で何とか撮るということができませんでした。自然に起こるのを待つしかないため5台のカメラを用意してその時が来るのを待っていたのですが、結果1度しかチャンスはありませんでした。全てはキャスティングとタイミングの問題ということです。
 
矢田部PD:各エピソードはどのようにして作られたものなのでしょうか。実際の出来事をもとにしているのでしょうか?
 
監督:そうですね、私の頭の中にあるファンタジーもありますし、私が小さい頃に働いていた田舎で見聞きしたエピソードもあります。この映画は私にとってセラピーみたいなものでした。私はレイキャビック(アイスランドの首都)出身の都会っ子なんですが、幼い頃4年くらいに亘って夏に田舎で、この映画で描かれているような馬がいるコミュニティで働いたことがあり、その際すごくカルチャーショックを感じました。この映画を作ることによって、そのカルチャーショックを癒すことができました。
 
Q:変わった映画を観にこようかな、というつもりで来たのですが、変わっているというよりもコミュニティや個人や自然に関して決断と行動をするという、極めて誰もが感動できる、クラシカルな感動作という印象を受けました。それは編集、構成、撮影などが優れていたということもあるのでしょうが、音楽が何より印象的でした。色んな音楽や音響を取り入れていて、映画に唸りや活力を与え、人を感動させる方向性をつけていたように思います。音楽や音響についてはどのように選ばれて、どのように組み立てられたのか教えて下さい。
 
監督:私は才能を持つ色んな方とこの映画で仕事をしたのですが、特に音楽の担当であるダヴィス・アレクサンダ・コルノさんの才能がここでは発揮されたということだと思います。何と彼はすべての楽器を自分自身で演奏しているのです。私にとって音楽はとても大事な要素で、『コントラプント』という画に対してシーンと逆のことを言うような使い方もしています。画にさらに空間やスペースを与えるような効果を得るために音楽を使用する方法です。もう一つは、我々は『ミッキーマウシング』と呼んでいたのですが、絵と音楽が同じ、つまり絵の言った内容を音楽が追いかける、というような効果が得られるよう音楽を選びました。ただ一番重要なのは音楽担当のダヴィズの才能が大きかったと思います。
 
矢田部PD:この作品を語るとついつい馬の話ばかりになってしまいますが、人間の役者さんも素晴らしいと思います。元々、馬に慣れている役者を見つけたのか、あるいは役者さん優先で馬に慣れてもらったのか、そのプロセスを教えて下さい。
 
監督:ここに出てくる役者さんたちは全員私の友達、あるいは舞台仲間なんです。特に一人とは毎日、寝食を共にしている、つまり私の妻なんですが、それ以外にも毎日会っている舞台仲間がいたりして、本当に家族のような人たちです。舞台仲間は特に親しくしている人が多くて、まず私の役者を選ぶ基準は馬に乗れることで、馬によく乗れる人たちというのがたまたまいい役者であったということです。
 
Q:映像的には馬の潤んだ瞳をきっかけに次のエピソードに流れていく構成が非常に見事で、監督が瞳に込めた想いはどのようなものがあったのかというのと、人の演出、馬の演出を含めて、一番苦労したシーンはどこだったのかを教えて下さい。
 
監督:馬の瞳のことをおしゃっていましたが、馬の目を撮るのに何が一番大変だったかというと、馬が動かないようにさせることでした。これは私たちが見つけたトリックなんですが、馬の足を一本上げるんです。3本足で立たせると馬が動かなくなると。これも皆さん、馬の映画を撮るときにはぜひ使ってください(会場笑)。
馬の瞳はいろんなエピソードにリズムをつけるためにとても大切でした。また、馬の魂に入っていく方法の1つでもありました。舞台ではよく、「観客の目となり、歯となる」という言い方をするんですが、つまりコンタクトをとる、絆を作るということなんです。その目を映すことで、それがコンタクトになるという意味を込めています。
一番大変だったのは、自分たちも撮ってみて驚いたのですが、トラクターが寄ってきて落ちるシーンです。カメラがすごく近づいているのでとても難しく、10テイクくらい撮りました。普通は3、4テイクで済むのですが、フォーカスの問題があったりして10テイク以上撮りなおし、とても大変でした。
 
矢田部PD:馬を撮るショットは黒澤映画から影響を受けたというのは本当ですか?
 
監督:黒澤明監督にも非常に影響を受けたのですが、小津(安二郎)監督にも影響を受けました。馬と人を撮るためにはフレームが低くないといけないんですね。中心がすごく低くなくてはいけないということで、私たちはそのアングルを「オズ(小津)」と呼んでいました(笑)。撮影現場で「オズ、オズ」と言っていたのは、それはアングルを低くしなさいという意味でした。
この映画は犯罪が出てくるわけでもなく庶民とコミュニティの話なんですが、いろんなアクシデントが起こるところはちょっと黒澤っぽいかもしれません。脚本を書く時にアメリカでは人を説得しなくてはいけないというようなことを言いますが、私としてはこの脚本の形、形式はパゾリーニ(イタリアの映画監督)や黒澤の『羅生門』といったものに近いのかなと思います。あまりクリシェ(型にはまった)ではない形になっていると思います。
 
矢田部PD:最後に一言だけ、ファイナルワードをいただけますでしょうか?
 
監督:皆さん、本当に観てくださってありがとうございました。素晴らしい反応でとても光栄に思っています。文化的にちょっと理解しにくい部分もあると思うのですが、ローカルなものはグローバルであると私は思っています。この映画は本質的には気持ちよく見られる映画だと思います。後味がついているというフィールグッドムービーだと思います。どうもありがとうございました。
 

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