ジョージ秋山の同名漫画の映画化で、長崎県五島列島を舞台に、セックスに溺れる哀しみを妥協なく描いた作品。原作者の子息・秋山命が脚本を担当しているのも注目される。会場の外では、五島の観光パンフレットが配布され、映画の苛烈な印象とは異なる、和やかなムードに包まれた。
矢田部PD:大画面でご覧になって如何でしたか?
榊英雄監督(以下、榊監督):正直ドキドキでした(笑)。観たのは完成披露試写以来で、まだ客観的になれなくていろんなことを思い出しました。映画は深くて難しい。やはり自分が出るんだと思いました。いま観て、主人公の子どもの正義はオレだったんだと気づきました。
秋山命さん(以下、秋山さん):監督と違って、僕はふだん表に出ることはないので、こんな晴れの舞台に立つことができて緊張しています。父の原作には、登場人物として僕のことも書いてあるので、皆さんがどう感じたのか、知りたいようで知りたくないような複雑な心境です。
矢田部PD:最初に企画を立てたのは秋山さんだったそうですが?
秋山さん:僕は父の漫画の映画化を幾つか企画したり製作したりしてますが、誰か『捨てがたき人々』を映画にしてくれないかとずっと思っていました。人から紹介されて、監督と会ったとき、映画化の話だけで2時間も盛り上がりました。でも実はまだ、監督は原作を読んだことがなかった(苦笑)。そこで読んでみろと進めて、この時は終わりました。
2〜3か月が経ったある日、そろそろ電話しようと思っていた矢先に、監督から電話がかかってきました。互いに電話をかけあい、話し中というタイミングで、縁のようなものを感じました。これは行けるかもしれないと意気投合して、改めて会って話をしました。
榊監督:秋山さんとは同い年ということもありますが、偶然、電話が重なって、ある種のタイミングを感じました。
矢田部PD:原作を読んでどう思われたのですか?
榊監督:原作は全6巻(現在発売中の幻冬舎文庫では2巻にまとめられている)もある長い物語ですから、映画は少し変えてあります。人間は不思議なもので、昼間は笑顔で、夜はくよくよ悩む生き物です。2人とも厄年を迎えて、これからどう生きていくのか、入口に来たという思いがありました。そこが一番ですね。わが身を振り返る心境になって、故郷の五島で撮りたいと思ったのです。
———すばらしい作品で感動しました。監督は大森南朋さんと初めて組んだわけですが、初対面の印象は如何でしたか? また撮影期間中に、その印象はどんなふうに変化していきましたか?
榊監督:実は大森南朋とは15年ほど前からの知り合いで、昔は互いに仕事がなくて、「大森、映画って仕事ねえよなあ」と下北沢でクダを巻いていた飲み仲間です(笑)。そこから彼は凄まじい活躍ぶりでしたが、一緒に仕事をする機会はありませんでした。秋山さんと脚本を練っていて、主演は誰にしようかとなり、咄嗟に出たのが大森南朋の名前でした。そこで直接彼に電話をかけ、「これ撮りたいから読んでくれ」と原作の第1巻を渡したんです。大森南朋は表紙を見るなり、「演るよ」と即答してくれました。2人でこれで勝負しようかとなったのです。
撮影の初日、港を歩いてくる大森南朋のショットを撮った時、これは行けると自信を持ちました。かつての荒ぶる大森と違って、成熟した色気を感じたんです。大森自身はナイスガイですよ(笑)。でも互いに真剣勝負ですから、緊張しましたね。
———大森南朋さんもよかったですが、三輪ひとみさんと美保純さんの演技も見事で、凄く迫ってくるものがありました。
榊監督:キャスティングは僕がまず大森に電話をし、僕と秋山のたっての願いで美保純さんにお願いして快諾頂きました。その他、田口トモロヲさんをはじめ、いいキャスティングができたと思います。京子役がいちばん難しくて誰にしようか迷いましたが、三輪さんが引き受けてくれたことで、この作品は動き出しました。女優陣も含めて現場では真剣勝負で、役者の自負心がどう映るかにこの映画はかかっていたと思います。
妥協したくなかったので、大森さんと美保さんが絡む場面では、美保さんを叩く大森の手が真っ赤になるくらい、テイクを重ねました。大森と三輪さんのまぐわいの場面も、自分自身が納得できるようにもっとたくさん撮りましたが、編集の都合でいまの形にしてあります。その意味では、すべてのキャストの方が、僕の傍若無人な演出に応えてくれて、ほんとに心強かったです。
———原作でもっとも感銘を受けた場面はどこでしょう?
秋山さん:父の漫画はもちろんすべて読んでいますが、普通なら許してもらえない人を描いた作品が多いと思います。この原作は、そうした父のすべてのキャラクターを総合した人物たちが登場してきて、そこに凄く共感します。僕も監督もいわゆる優等生ではない。もの凄く自分たちに近い人物を描いた作品なんです。映画と原作では違う部分があるので、ぜひ原作も読んでみて下さい。
榊監督:脚本段階であまりに濃密な作業をしたため、もはや原作と脚本が自分の中で混同しているのですが、やはり原作にある問いかけ「人はなぜこの世に生を受けなぜ死ぬのか。なぜ私は狸穴勇介なのでしょうか」という言葉に惹かれました。
好きな場面は、離島の墓地で勇介が語りかける場面で、あそこは原作にないのですが、僕の気持ちを重ねた場面です。墓前に立つ大森南朋もまた僕自身なのです。大変思い入れの強い場面で、映画祭に提出したメインカットもこの場面を使用しています。
矢田部PD:映画は来春公開が決まっています。今後の展開に向けて一言どうぞ。
榊監督:自分の中で最もパーソナルで、最も映画作家らしい作品だと思っていいます。自信作であり、僕の愛すべき分身と思っているので、公開に向けて努力していきたいと思います。皆さん、せひ応援して下さい。