10/20(日)日本映画スプラッシュ『なにもこわいことはない』の上映後、 斎藤久志さん(製作/監督)をお迎えし、Q&Aを行いました。
司会:さっそく映画の成り立ちからお伺いしたいのですが、どのようなきっかけでこの映画を企画されたんでしょうか?
監督:脚本作りからスタートしました。夫婦の話をやろうと脚本を書いてくれた加瀬仁美と話をしたんです。彼女とはその前に一本仕事をしていたので、そういうことでやろうというキャッチボールから本作りを始めまして、キャスティングをして、スタッフを集めてということですね。
司会:微妙な夫婦の関係性ということは最初から企画に入っていたのでしょうか?
監督:微妙な夫婦の関係だけというわけではなく、恋人や友達という関係でも、人は一緒に生きていけるのか、生きていくとはどういうことなのかという疑問が僕が(作品を)作っていく上でのモチーフなので、それを今回は夫婦という単位でやってみようというのがスタートですね。その上で、まずは劇的な出来事が起きるのではなく、日常のディテールの積み重ねで物語を作れないだろうか?永遠の営みの中に劇的なことが起きなくても、人間が生きていくこと自体が大きな動きなんじゃないのか、人生のある一部分を抽出していくことの連なりが、劇的な心の動きみたいな物語になっていくのではないかいうことをやってみたかったということでしたね。
司会:映画の成り立ちに戻るのですが、スタッフや監督の周りの方々というのは最初から決まっていたのでしょうか?
監督:全部が今まで一緒にやっていたスタッフではないので、一人ひとり声を掛けてやっていただける方を、キャストを含めて順番に集めていきました。
司会:夫婦や妻の両親、そして妻の職場の男女、彼らがキーパーソンになっていくと思うのですが、この方たちのキャスティングはどうだったのでしょうか?
監督:自主映画のせいもあるのかもしれないですけど、思った人に声を掛けてこんなに「うん」と言っていただけたのは珍しいくらいで、ほぼ9割9分、思った通りの人たちに出ていただけましたね。かつて一緒に仕事をした俳優さんは、脇で出ている看護師をやった猫田さんと、居酒屋の店員をやっていた森岡です。メインのところは初めて一緒にお仕事をした方々です。
司会:空気を微妙に調整していくような、絶妙なキャスティングだったように僕は思ったのですが。
監督:そうですね。例えばお父さん役の柏原寛司さんは、アクションの巨匠でありシナリオライターで、産婦人科をやられた鈴木元さんという方は映画監督でして。
低予算の映画で出演シーンが少ないのに有名な方をお呼びするのは難しかったりするので、活躍されている俳優というよりは、顔や存在感そのものが力を持っている人たちがいいなと思っていましたので。
柏原さんに関しては、一目惚れに近いです。本を読んだ瞬間、この話はどうしても柏原さんが必要だということで、最初嫌がれていましたけれど、口説きました。
司会:ドラマの情勢に非常に効果が出ていたのは家の造りだと思うのですが。
監督:これは偶然なんですよね。台本上は普通にマンションというかアパートの1LDKとか2LDKになっていたんですが、低予算ですので美術がついて全部飾り込むということが難しかったので、そのまま使える場所を探していたら、たまたま人づてであの家が使えるということになって。
設定が少し違っていて迷ったんですけど、家の造りがすごく面白かったので、逆にこれを利用しようじゃないかと思い、それに合わせて脚本を多少、直してもらいあの家を使いました。
観客:お聞きしたいことは、若いご夫婦は本当に理解し合えているのでしょうか?2人はこれから幸せになれるのかどうか、旦那さんは中絶を許せるのかどうかをお聞きしたいです。
監督:日本人という国民性が大きく起因していると思いますが、直接的に感情をぶつけないんですね。
例えば先ほど言われた「堕胎」に関して言えば、2人の夫婦の取り決めという設定を含め、彼女が堕したいのか、そうでないのか僕にはわからないです。でも僕の中の答えはあります。あのシーンでは言いませんが、「逃げる」という台詞がひとつあれば意志はわかるんですが、彼女の葛藤の部分で言うと気持ちというのは言葉にしても嘘をつくという場合があるので、場合によっては自分自身でもわからない場合があると思っています。
ですので、その答えは物語を作っている僕の中ではありましたが、どういう結果になっているかっていうのは、観てもらったお客さんの中に定着したものでしかないのかなと思います。
例えばラストに関しても、あれが果たして希望なのか絶望なのか。日本でマスコミ向けの試写をやっているのですが、そのリアクションも両方の意見もあって。
特に海外の方にどういう反応があるのかっていうのはすごく興味があったんです。
小津安二郎の映画の日常の中で繰り返されるというのはどこかで意識していました。この夫婦がラストで奥さんが旦那さんの顔を見た後に風景を見ますが、2人が共に同じものを見ているというニュアンスを残したんです。それがお互い向かい合って、お互いの顔しか見ていないという事と、並んで風景を見るという事に、この物語の到達点を作っているつもりです。
これが、こういう意味です、とは僕も言いにくいのですが、感じてもらう答えの中に、絶望と希望は、別次元ですが同居しているというのもあるのではないかと思います。
ヘビーな質問だったので、かなりパニクってしまいました。
Q:「なにもこわいことはない」というタイトルにされた意味合いをお聞かせください。
斎藤監督:正確なところは、ライターが付けたタイトルなので、僕が意味を持ってつけたわけではないので、ライターに聞いてもらった方がいいです。
僕が感じているのは、宮沢賢治さんの『ひかりの素足』という童話の中に「なにもこわいことはない」という言葉があるっていうのと、「なにもこわいことはない」というのは、全部こわいんだという事と同じだという風に僕はなんとなく思っています。