10/18(金)『魂を治す男』の上映後、フランソワ・デュペイロン監督が登壇し、Q&Aが行われました。
妻と別れ、トレーラーハウスに暮らすフレディ。彼は虚無にうちひしがれ自身の心を癒せずにいたが、身体に触れて病を治す特別な能力を持っていた。
行き詰まった人間の孤独を滲みだすように描いた本作は、スーパーナチュラルな能力という魅力的な設定を通して、人を愛し、他者と関わることの大切さを訴えた佳品だ。5年ぶりのTIFF参加となった監督だが、いきなり爆弾発言が飛び出す展開に場内は驚きを隠せなかった。
田中文人(東京国際映画祭事務局 作品グループ・以下、田中):監督は久しぶりの来日ですね。9月にフランス本国で公開されたばかりの新作をもって駆けつけてくれました。まずは、来日の感想からお聞かせください。
フランソワ・デュペイロン監督(以下、デュペイロン監督):この映画は私にとってちょっと特別なものです。というのも、これを最後に映画監督を辞めようと考えているからです。これまで監督としていろんなプロジェクトを立ち上げましたが、フランスではすべて拒否されてきました。そんなこともあって、映画が完成して来日できたことをとても誇りに思います。日本の皆さんが私の映画を受け入れて下さることに、大変感動しています。
田中:衝撃的な発言が飛び出して、聞くべきことを忘れてしまいました。
監督の旧作に、第21回東京国際映画祭でコンペティションに選出された『がんばればいいこともある』(2008・最優秀女優賞受賞作)があります。このときは来日いただけず残念でしたが、とても楽しい作品でした。毎回、映画のスタイルといい挑むテーマといい変化があって、監督の新作を待ち遠しく感じていました。
最後の作品なんて言ってほしくないのですが、それに触れたら話が終わってしまうので、まずは作品についてお聞かせください。
ちなみに私の祖母は、手をかざして病いを治す力のある人でした。作品を観て祖母を思い出したのですが、フランスでは治癒能力をもった方はたくさんいらっしゃるんですか?
デュペイロン監督:数はわかりませんが、フランスにも「ヒーラー」と呼ばれる方々はいます。私が住んでいた田舎にもいました。私が診てもらったり、他の人を診てもらったりで、人生の中で何度か出会いがありました。
田中:祖母の手はとても熱く、そして本当に、ときどき気を失っていました。まったくこの映画のとおりでした。しかしこの映画は、超能力をもった人の映画ではありません。治癒能力を持った人物を主人公に、ストーリーを作ろうとしたきっかけは何だったんでしょう?
デュペイロン監督:なぜこんなアイディアが出てきたのかは、私にもわかりません。ただアイディアがとても重要に思えたので、まずは小説を書いたんです。物語を作っていて面白いのは、書きかけのストーリーと並行して、自分で思ってもみない別の物語が自然と湧き出ることです。なので、超自然の力というのは最初のきっかけに過ぎず、それを通して人生を語ったり、もっと神秘的な事柄を語ろうとしました。
主人公のフレディは特殊な能力を持ちながらも虚無感を抱えています。なぜこんな屈折した人物を描こうと思ったのでしょう。また、事故にあった少年が途中で登場しなくなるのはどうしてですか?
デュペイロン監督:キャスティングのことは、多くの監督やプロデューサーが本音を言いませんが、実はいろんな俳優に打診して断られてしまったのです。他に居なくて、彼らになったというのが真相です(苦笑)。
でもシナリオというのは磁石のようなもので、関係してくれる人を引きつけてくれます。俳優もそうです。ある晩、目覚めてTVを点けたら演劇をやっていて、グレゴリー・ガドゥボワというすばらしい俳優を見つけました。そこで彼にお願いしたわけです。
子どもが登場しなくなることは映画を完成させてから気づきましたが、フレディは病気を抱えています。バイクで転倒して記憶に穴が空いてしまった。子どもが登場しなくなったり、女性や男の子に会ってまた別れていくというのは、まさに彼のなかの「穴」と同じなんです。夢のなかで展開する話と同じで、いろんな人物が登場しますが、彼らはフレディのなかの穴、何か足りない部分を示しているのです。
Q: 楽しく拝見しました。3種類のオートバイが登場しますが、どんな意図があったのでしょう?
デュペイロン監督:ご指摘のとおり、バイクはある役割を果たしているのだと思います。無意識の選択かもしれませんが、バイクはまさに主人公自身を表しています。
「automobile(オートバイ)」の「auto」には「自分」という意味があって、「moto(バイク)」と通じています。この映画ではバイクがフレディの物語を語っているのです。まず自分が壊れるように乗っているバイクが壊れます。それをだんだん再構築していくわけです。小さなバイクに乗って子どもに戻って、その後にもっと大きなバイクに乗る。ふたたび自分自身になるのです。
Q: 音楽の使い方もすごくよかったです。冒頭、ニナ・ハーゲンみたいな曲が流れたと思ったら、後半にニナというヒロインが登場し、最後のクレジットにも彼女の名前が出ていました。やはりニナ・ハーゲンの曲だったんですね。監督にとって、ニナ・ハーゲンはどんな存在なのでしょう?
デュペイロン監督:ニナ・ハーゲンは大好きです。自由で詩的なところ、怒れる彼女もまたすばらしい。とくに冒頭の曲には彼女の個性がよく表れていて、場面に合ってると思います。音楽のみが語れることがあって、この映画ではそうした曲ばかり使用しました。
それからもうひとつ。先ほどシナリオは磁石のようなものだと言いましたが、音楽はニナ・ハーゲン、登場人物の名前はニナ、そして、撮影した家の持ち主もニナさんという方でした(笑)
Q: まず最初に小説を書いたと仰ってました。執筆中にいろんなインスピレーションが湧いたとの話もありましたが、監督がこの映画を撮られるときのフィジカルの状態、どんな時に発想が生まれてくるのかを教えてください。
デュペイロン監督:アイディアはいろんなときに浮かびます。たとえば歩いているとき、書き物をしているとき、目覚めたとき———つまり、夢のすぐ後もそうです。いつも朝目覚めると、夢に見たことを書き留めるようにしています。
またアイディアが湧いてくる周期があって、その時期はあらゆるものがいろんなアイディアを湧かせるきっかけになります。たとえばラジオがそう。誰かの声を聞いたら、話の内容と違うことがどんどん浮かんで来たり。こんなふうに、すべてを受け止めていく時期があります。
その時はただ受け止めるだけでなく、湧いてきたものがなすがままに私を通過していくようにします。いわば、メディテーションのようなものです。
田中:時間になってしまいましたが、まさか監督の引退宣言からQ&Aが始まるとは思いもしませんでした。皆さん、監督の宣言に賛成していませんよね。反対ですよね?
———(場内大拍手)
田中:しばらくは黙考して、必ずいい映画を作ってください。日本には監督のファンがたくさんいます。また映画をつくって、日本に来て下さることを心から願っています。